補足(揚足取) >でもバイロイトの歌劇場は中世以降に出来たのでは? >>18世紀半ばですね。 Bayreuther Festspielhausのことであれば竣工は1876年なので、19世紀後半では?
訂正(揚足被取) おっと、Markgräfliches Opernhaus(1748年)の方でしたか?
すでにトピ主さんからレポートありましたね(まとめ講義) クリアーな確認、感謝です。 ご指摘の通り、バイロイトには、観光スポットでもある2つの歌劇場があります。 一つは、Bayreuther Festspielhausで、ワグナーが、彼のパトロンであるバイエルン王ルードビッヒ2世の支援で、自らの作品を上演すべく設計・建設したもの。ちょうど、日本の文明開化の頃のものですね。 勝手な推測ですが、バイロイトに足を運ぶ日本人観光客のお目当ては、これではないでしょうか。 原語を書いていただいたことで明らかですが、祝祭劇場というよりは、フェスティバル会場なんでしょうね、まさに。 もうひとつが、Markgräfliches Opernhaus(1748年)で、文字通り、辺境伯の歌劇場。 ドイツ語を知りませんから、厳密にはどういう意味なんだろ?とは思いますが・・・ あと、トピ主さんへの重ねての礼に報いる意味で、この辺境伯領と2つの歌劇場の顛末です。 代々の辺境伯の統地・外交努力も、歴史の大勢のなかで無力となり、ナポレオン勃興期に、ついに辺境伯領は放棄され、プロイセンに吸収されます。しかし、プロイセンがナポレオンのフランスに敗北したことで、この地域はバイエルン王国にフランス経由で吸収されました。 私も、こういう経緯を知るまで、なんでワグナーがここに歌劇場をつくったんだろう?と分かりませんでした。そもそもは旧歌劇場ではオレの作品は素晴らしい形にはならないんだ!ってことなんですね。 正直、バイロイトに足を運んだ若き日には、辺境伯という言葉を読み飛ばしていたと思いますし、上記の通り、ワグナーによる建設秘話も知らなかったかも。 知るは楽しみ也というのは、真理だなぁと改めて思いました。 よい勉強ができましたこと、トピ主さんとYarlan Zeyさんに、末筆ながら御礼申し上げます。 ちなみに、後からトピ主さんの過去トピを読むと、この流れにある「言葉だけ聞いたことがあるけど、一体なんなのそれ?」トピが複数あり、おのおの勉強になりましたこと合わせ申し添えます。
Bayreuther Festspielhausではありません こちら(ワーグナーの)に詣でた際に、 辺境伯歌劇場に行けなかったという お話がベースですから、 混乱させてしまい失礼しました。