Re: 関東の孟宗竹は薩摩藩が江戸屋敷での食料用からたった1世紀で東日本中に広まった

(のりーた)さま今晩は!

昔は唐竹しかなかったそうです。

グアムの竹の子も日本人が持ち込んだとか?

そのうち温暖化が激しくなり、さすけねえの家の庭でドリアンとバナナがなるでしょう。

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1件のコメント

  • Re^2: 関東の孟宗竹は薩摩藩が江戸屋敷での食料用からたった1世紀で東日本中に広まった

    薩摩の下屋敷で栽培されていた孟宗竹を分けてもらったのが 出入りの荏原のお百姓さんでこれが目黒一円に広がって、目黒の秋刀魚ではなくて 目黒のタケノコ飯が江戸の名物になったそうです。

    当時の江戸は 急激な人口増で慢性的に青物不足、そのため各藩の下屋敷は国許の野菜を持ち込んで自給していたので こうした蔬菜類の珍しいものは 一挙に日本中に広がったのだそうです。

    とくに孟宗竹は 簡単に大きくなる木材代用としての需要も多く、一挙に広まったとか。 とくに日本海側での栽培が多いのは 北前船が北海道の物産を運んでくる時に 帰りに 大量に竹を積んでいったのだそうです。 浜辺の網干しや小屋作り用でもありますし、 若し途中で沈んでも、この荷なら沈まないのだそうです。

    あ 脱線転覆・・・。  

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    破竹の勢い・・・

    ぼうふらおじいさんさん こんばんわ
    返信ありがとうございました。

    なるほど、お江戸の食料事情がよくわかりました。
    竹の子ご飯はそうやって 広がっていったのですね。

    孟宗竹を船に積んでいったのも なるほどです
    いざという時は、浮き輪代わりになりそうですし

    それにしても、竹は恐るべき勢いで全国に広がったのですね、まさに破竹の勢いということろで・・・

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