プラスアルファの知識・・・外貨持ち出し制限 入社当時の上司が360円時代の苦労話をしてくれました。 その上司が出張でアメリカに行った際、ドルの持ち出しは制限があったそうで、道中金が無くなり大使館に駆け込む寸前に、同じ村からアメリカに移民した遠縁を思い出し、連絡して借金をした・・・との事。 で・・・調べてみると http://q.hatena.ne.jp/1227250340 外貨の持ち出し制限 1960年:2000円から2万円に増額 1964年:海外観光旅行解禁 1970年:1000ドルに増額 1971年:3000ドルに増額 1978年:制限枠の撤廃 当時の1000ドル=36万円と言うと大金ですが、アメリカで一食数ドル(1000エン以上!)であればあっという間に所持金が無くなりますよね。 1970年代・・・中学生~高校~大学の時代でしたが、インスタントラーメンは30円。 これはソバやの値段より高かったそうです。 大学の学食でもうどん、ソバが30円(就職する頃でもラーメンが80円位?) 100円あればしっかり食事ができていたのですが・・・ドル換算で30セントだったんですね。
サバイバル・・・ですね 内蔵介さん こんばんわです 外貨持ち出し制限・・・・当時はカードもあまり普及していなし 大変なことだったのですね。 欧州の方が行きやすかったのも納得しました。 今年ニューヨークへ行きましたが 東京並みに物価が高い・・とか思いました 円高の日本ですから これもちょっと贅沢な話ですが 日本で暮らす 留学生にとって 円高は深刻ですよね・・・はい
Re: サバイバル・・・ですね >外貨持ち出し制限・・・・当時はカードもあまり普及していなし 大変なことだったのですね。 クレジットカードを初めて見たのは中学生の頃・・昭和43年頃でしょうか・・・。 金融機関に勤務していた父親は業務上「仕方なく作ることになった」といいつつ、突然目の前でちょん切ってしまったのです。 使う気がない、盗まれたら困る・・・理由はいろいろでしょうけど、当時はクレジットカードの金利を使う方が(も?)負担するシステムだったようで、現金を持ち歩かない便利さが5%也の金利負担・・・と言うのは、ちょっとばかばかしいですね。 それと・・おそらく当時のクレジットカードはインターナショナルではなく、日本でしか使えないカードではなかったかと思います。 その辺は諸先輩方がご経験されているのではないかと思います。 私がクレジットカードを作ったのは1984,5年頃。 資格審査に1か月必要と言われました。
貴重な外貨・・・その2 さて続きです。 少し後になって、もう少し下?の上司の海外出張があって、しばらく後にこの上司に警察の呼び出しがありました。 気軽に出かけていったのですが、その後連絡事項があって某警察署(考えてみたらかなり離れたふだん縁のない警察署)へお使いに行くと刑事さんが出てきて用件を聞いたうえでなぜかあわせてくれました。 その前にこの上司は兵隊経験のあるガンコな人でしたが、刑事さんが私になんと頼み事です。 どうも出張時に個人的にヤミドルをそれも結構沢山手に入れて出かけたようなのですが、そのヤミドル屋が捕まってその裏を取る取調べだったようなのですが、なにしろガンコな人ですから全く知らぬ存ぜぬなんだそうです。 買っただけならその事実さえ認めてくれれば黙って会社へ帰したいのに本人がガンバッテ?刑事サンたちが困っているところへ私が顔を出したということで、ホントはいけないのだけれど、そういう事情だから事実だけ認めて欲しいと伝えてくれ・・との事。 半信半疑ながら調べ室?見たいな所へ入って上司に面会。 用件もそこそこに刑事に頼まれたことを伝えて、無事一緒に帰社しました。 ヤミドル屋の立件が主で買った人はお目こぼしだったようですが、こんな騒ぎを経験した新米社員はあんまり居ないと思います。 この人は生まれて初めて警察の取調室?での経験でかなりびっくりしたようで、てっきり私が助けに来たと思い込んでいたようです。 帰り道に調書?にハンコは押してもべつに捕まったわけではないので会社では内緒にしようということになり、お昼をご馳走になりました。 もっとも本人はナイショといった口の下からあちこちで武勇伝?に膨らませたお話をしまくっていましたが。 大手の会社の役員さんでも体面を保つホテルに泊るとそれこそお昼にハンバーガー(最も当時はそれなりに威張れた?食べ物でしたが)という外貨事情のご出張だったようです。
Re: 貴重な外貨・・・その2 ぼうふらおじいさん、こんにちわ。 やみドルなんて、小説でしか知りませんでした。 1ドル400円であっても、舶来品を買うためにドルが必要だったんですねえ。 >ヤミドル屋の立件が主で買った人はお目こぼしだったようですが、こんな騒ぎを経験した新米社員はあんまり居ないと思います。 上司を迎えに警察に行く新入社員・・・驚きです。 まず他にはいらっしゃらないでしょう。 >もっとも本人はナイショといった口の下からあちこちで武勇伝?に膨らませたお話をしまくっていましたが。 ちょっとした武勇伝です。 そりゃあ黙っていられませんよね。 >大手の会社の役員さんでも体面を保つホテルに泊るとそれこそお昼にハンバーガー(最も当時はそれなりに威張れた?食べ物でしたが)という外貨事情のご出張だったようです。 勤務先の社史でも、戦後初めて社長さんが渡米した事が記載されています。 かっこよく写真に納まっていますが、恐らく現地では惨めだったのでしょうね。 そのせいかどうか知りませんが、その社長さんはずっと欧州贔屓でした。
警察の取調室…笑…「さすけねえさんカツどんはドラマの見すぎですよ」と言われました(笑) 警察の取調室に入ったことがあります。 当然ですが「悪いことをされたほう」の取調べで。 調べられる人は奥に座って、刑事さんがドアの前側に座るのです。 ここ雰囲気的に嫌ですね~~~「話さないとカツどんご馳走になれるのですよね」と言ったら、 さすけねえさんドラマの見すぎです。「カツどんはご馳走しません」っていわれました。
貴重な外貨・・・という言葉を聴かなくなって 内蔵介さん 私の社会人一年生当時の上司・・・といってもうんとうーんと上司ですが、海外出張で大騒ぎでした。 確か日銀、通産省、外務省などへ説明に廻ったはずです。 説明資料作りを手伝いました。 一日あたり50ドルだったか、35ドルだったかで泊って食べて、仕事して・・・ということで、名の知れたホテルへ泊ることなどできなかったようです。 たしかヤミドルが1ドル400円かそれ以上。 ばれるとつかまります。 少し後に別の上司が捕まって警察へ・・・。 この話は この次。
Re: プラスアルファの知識・・・外貨持ち出し制限/そうだったんですよね! 内蔵介さん、みなさん、こんにちは。 私も、昔話となると出てくる歳になってしまって......(涙)。 ~そうです、どなたかが持ち出されるのではないかと思っていました、外貨の持ち出し制限。 昔は、パスポートにいくら買ったか書き込まれ、“裏書き”とか言っていませんでしたっけ。 私は、大学卒業後、暫く旅行社につとめていたことがあるのですが、ようやく一般のひとたちも海外に気軽に出かけられるようになった隆盛期で、格安航空券などなかった当時、割安なツアーに地方のかたからご高齢のかたまで一生に一度はと申し込むかたも多く、千客万来の楽しい仕事でした。 その際苦労したのが、この外貨の持ち出し制限。 ツアーの場合、既に手配してある現地のホテル代や移動費も全部各自の持ち出し枠の中に勘定されますから、その分、個人が“お小遣い”として持ち出される金額は減ってしまうわけです。 それなりに詳しいお客がいて、何ドルまで大丈夫なはずだと苦情を言われたり、案内するよりも先に銀行で買ってしまわれていたりで、その都度説明に追われましたっけ。 そのあと、あっという間に解禁され、円の価格も上昇、今となっては昔話となってしまいましたね。 ところで、トピ主さんの本題、というか、私が刺激をうけてきたのは、特にどの本、というより、子どものころからなじんだ文学・美術・音楽全般、ということになるでしょうか。 残念なことに、おとなになるまで、日本文学にも日本画にも惹かれることが少なく、興味は西洋のものに偏っていましたから、ドイツ、フランス、英国、スペイン.....今ガイドブックを開けても、あの地名、この都市、いつかどこかで本に読み、あるいは作曲家の誰それが足跡を遺し、あるいは絵の題材になり、した記憶をよびおこしてくる、それに惹かれて行きたくなる、という感じです。 ですので、ときにある「何を見るべき?」「どこに行くべき?」「おすすめは?」は、私には理解しにくい質問です、率直なところは。しかし、みなそれぞれの体験が違うのは当然ですものね。例えば私は不調法で、ワインはだめです。ですから、これに関しては、「何を飲むべき?」と聞くかもしれません! ハワイに行ったときは、まだB-2ビザが必要だった化石時代のClioです.....
やはり諸先輩方は苦労されていたんですね。 Clioさん、こんにちわ。 >ツアーの場合、既に手配してある現地のホテル代や移動費も全部各自の持ち出し枠の中に勘定されますから、その分、個人が“お小遣い”として持ち出される金額は減ってしまうわけです。 うーん、これは存じませんでした。 単に所持金としての制限があったと思っていましたが、持ち出し=海外で使えるお金の総額って事ですね。 それは大変だったでしょうね。 >そのあと、あっという間に解禁され、円の価格も上昇、今となっては昔話となってしまいましたね。 そうですね。 1ドルコーヒーの事もそうですが、輸入品は何でも舶来と言うに相応しい価格でした。 マッキントッシュが日本で売り出された頃、円ドルレート以上に大きかった壁は日本での価格設定です。 どういう換算をしたのか知りませんが、マックプラスが60万円。 当時、アメリカに旅行して現地でマック(+)を買い(日本円で30万円位?)、かついで帰っても日本で買うより安いと言う状態で、実行した人も居たようです。 私が買ったのは日本価格が30万円を切った頃でした。 届いたのがソウルオリンピックの日だったので、今でも鮮明に記憶しています。 1988年ですが、円ドルレートが120円台と大分下がりましたよね。 その後の1ドル80何円と言う異常円高・・・子育て真っ最中のため貯金も乏しく、海外旅行は眼中に無く、ひたすらJRを乗り潰していました。 CDや部品は個人輸入していましたが・・・今思えばモッタイナイ話です。 後悔先に立たず・・・今も円高なので「行くべし」なのすが、未だ動いていません。
レス ありがとうございます Clioさん 楽しく読ませていただきました。 私のパスポート(1968年香港と1976年アメリカ)にも最後の方に渡航費用に関する証明のページがあり 旅費や持ち出し米ドルの記録があります。 また外国への関心が <文学・美術・音楽全般>とのこと 素晴らしいですね。今海外を旅行して美術館やオペラなどを鑑賞しますが あの頃どうだったかな と思います。 >ときにある「何を見るべき?」「どこに行くべき?」「おすすめは?」は、私には理解しにくい質問です。 私も同感です。 あれを見たい・・・あそこでこれを体験したい・・・等 惹かれることがあって それぞれの旅に私は出かけます。