360円時代の旅行 大学時代、初めての海外(米国)が、まさに1ドル=360円でした。 一泊8200円程度の宿が、一泊36000円になる訳です。 学生の身では、到底毎日宿泊できません。 そこで、グレイハウンドのバスの一ヶ月利用チケットを使い、 1日宿に泊まったら、次の日はバス中泊と交互に。 このペースで、NYからロスまで、一ヶ月近くかけて、旅行しました。 総額は、二十数万円だったと思います。 1年ちかく、アルバイトをしてためました。 決してお金持ちではありません。(笑) ちなみに、この年は、ロスでオリンピックがありました。 そして、私の帰りの飛行機の席が、某国選手団に取られて 帰国が4日ほど延期されました。 しかし、後日その某国から、お詫びとして、往復の運賃や ホテル代が支払われました。それが、20万円近くありました。 結局、タダ同然で旅行できた次第です。
Re: 360円時代の旅行ーーロスオリンピック? なおみかさん 失礼ながらちょっと勘違いされていらっしゃるのでは? 調べたところロスアンゼルスオリンピックは1984年で、内蔵介さんの記述によれば 1970年代に既に300円を割って(超えて)いたかと思われます。あるいは1968年の メキシコオリンピックならロス経由で選手も帰国したかと思われますのでそれと混同されたかと?
1984年の対ドルレートは、230円から250円程度でしたね。 というのが、僕はその時、インド旅行をしてたので。 一ドルは230円程度と記憶してます。 グーグルで「ドルのレートの変遷 1984年」と入れたら、 Wikipediaで、出てました。 一応調べたので、書いておきます。 みどりのくつした
おっしゃるとおりです そうですね。 自分の年齢やロスのオリンピックの年を考えると、 矛盾しています。 思い違いかと。 1ドル=360円ってことはないですね。 でも、300円台だった記憶はあります。 そのときたまたま円安だったのか、手数料込みの 値段だったか、定かではありませんが。 まぁ、1泊36000円も、1泊30000円も、 泊まれないという点では、同じなので、 お許しください。
1ドル 360円時代には YHはありがたい存在だったのですね なおみかさん 貴重な体験を教えていただきましてありがとうございました >1泊8200円程度の宿が、一泊36000円になる訳です。 社会人だって連泊は かなり厳しい金額ですよ(笑) ユースホステル や YMCAが仮に 1泊→10ドルとしても、3600円 内蔵助さん情報によりますと、シングルレコード10枚分の価格・・・ 当時の学生にとっては「単なる安宿」ではなかったのですね マルコポーロ3さんという方が こちらの掲示板の利用者にユースホステルを宣伝を行っております。 現在50代を超える方々にとっては、当時のYH・YMCAは 大変ありがたい存在だったのですね タイムワープしたおかげで、私の見方がチョロットだけかわりました。 http://bbs.arukikata.co.jp/bbs/tree.php/id/473669/-/parent_contribution_id/375167/ 「何を根拠に50代・・」とか 突っ込まれそうだから↑資料添付しますね(笑) >NYからロスまで、一ヶ月近くかけて・・・ アメリカ横断・・・・1ヶ月 なおみかさんは、素敵な時間を過ごしたのですね! 色々な出会いがあったのでしょうね。 今年、私も同区間を国内線で移動しましたが「雲の上を一足飛び」も 味気ないものに感じてきました(笑) 某国・・・なんて太っ腹!! これも なおみかさんの、普段の行い&1年間がんばった ご褒美かもしれませんね。 ありがとうございました~
Re: 1ドル 360円時代には YHはありがたい存在だったのですね とうとう穏やかなのりーたさんまで悪者の仲間にされてしまいましたね。困ったチャングループとか勝手にレッテルをはられてしまいましたね。威張るのも50代まで、もし60代になればその反動がきますよ。 口は減らなくても身体がついてゆかないです。維持するのは掲示板でいいたい放題の今とは比べ物にならないほど努力が要ります。 いやでも歳はとります。そのときに相手をする人がいるかどうか。 老人会に入るのはいやですが年寄りが集まると病気の話が多いです。ましてYHの話をすればそんな話はあなただけといわれいてしまいます。 私はあと3年ちょっと80歳でもここで憎まれ口をいい続けたいですが旅行ができなければ退散します。 私は今のところ維持できそうですが両親が永遠の旅行に旅立った年になりました明日のことはわかりません。
ユースホステルにでもしておくか・・・ のりーたさん 昔話には割り込む年代ですので・・ひとつ。 でもまたどなたかを刺激するかなあ、心配だなあ。 この時代はヨーロッパもまだまだ大変だった時代です。戦争の影響が薄れたとはいえ、東西冷戦やら、産業基盤の変わり目でそれまでヨーロッパを支えていた富裕層の交代時期であちこちのお城が荒れ果てたままでした 。 アラブのお金持ちやアメリカの成金がお金を出して買うきらびやかなお城はいいとしてもあちこちにひっそりと建つお城は修繕費もままならず、朽ち果てるばかり。 考え付くのはホテルぐらいでもお客が泊れるようにするのには足回りがほとんどの場合ネックです。 そこ自治体なんかの知恵者?があつまって、そうだユースホステルがいい・・。これなら荷物も自分ではこぶし、料理もこらなくていい・・・。 それを見て表側はちゃんとしたホテル・・、不便な裏側や、もと馬小屋はユースホステル・・というのがやたらめったら誕生しました。 なにしろいわゆる観光客となる中産層は米国を除いてまだまだ生活に追われていましたから、どこの国もお金の無い若者の天下です。 壊れかけさびれかけた由緒ある建物がこうしてユースホステル業界に登場しました。 つまり苦し紛れの場つなぎ・・・でした。 お城がユースホステル・・という流れはこういう事情です。 何しろお城なんて村・町ごとにあるよーろっぱですから・・・。
プラスアルファの知識・・・外貨持ち出し制限 入社当時の上司が360円時代の苦労話をしてくれました。 その上司が出張でアメリカに行った際、ドルの持ち出しは制限があったそうで、道中金が無くなり大使館に駆け込む寸前に、同じ村からアメリカに移民した遠縁を思い出し、連絡して借金をした・・・との事。 で・・・調べてみると http://q.hatena.ne.jp/1227250340 外貨の持ち出し制限 1960年:2000円から2万円に増額 1964年:海外観光旅行解禁 1970年:1000ドルに増額 1971年:3000ドルに増額 1978年:制限枠の撤廃 当時の1000ドル=36万円と言うと大金ですが、アメリカで一食数ドル(1000エン以上!)であればあっという間に所持金が無くなりますよね。 1970年代・・・中学生~高校~大学の時代でしたが、インスタントラーメンは30円。 これはソバやの値段より高かったそうです。 大学の学食でもうどん、ソバが30円(就職する頃でもラーメンが80円位?) 100円あればしっかり食事ができていたのですが・・・ドル換算で30セントだったんですね。
宣伝でなく紹介です YHの宣伝はしていません。紹介、啓蒙程度です。 16で始めたとして45歳くらいが推定かと。