Re: シベリア抑留者墓地 こんにちわ EAVOさん 初めまして。 このレスに気になった地名があったので、お尋ねしたい点があったので書き込みました。 バイカル湖そばのリストビャンカへはどのような交通手段で、移動したのでしょうか? 現地では英語での会話は、出来るのでしょうか? また、私は旅行するとその地域の道路や鉄道などが記載された、割と詳しい地図を、キヨスクや空港のコンビニみたいなところ(北米や欧州など)で、手に入れるようにしているのですが、ロシアはどうなんでしょうか? お分かりの点があれば、お教え願いたいと思い書き込みました。 突然の質問で、申し訳ありませんが。よろしくご教授のほど、お願いします。
Re: Re: シベリア抑留者墓地 私が行ったのはウラジオストックからシベリア鉄道に乗ってイルクーツクで途中下車してバイカル湖畔を観光したときにリストビアンカ村の日本人墓地へ往きました。 イルクーツクの駅でガイドが私の札を持って待っていました。 日本出発前にロシア旅行社にロシア出国までの手配を頼みました。その次に行ったときはJICに頼みました。 ロシアは共産党独裁が終わったとはいえまだ名残は残っていますので全く他の自由諸国のようにはいかないと思ったからです。 リストビアンカ村えは運転手兼ガイドと一緒に行きましたが、途中の道路で警官に乗っている日本車を止められましたが、あれは賄賂要求だとガイドが言っていました。 その後自由化度も更に進んだかもしれませんが、帝政時代を含め完全な自由主義国ではないので勝手が違います。 タダ私はモスクワで怪我をして救急病院へ行ったときは英語の話せる人が迎えに来てくれ医療費は外人の私でも無料でした。 その時はソ連時代の名残かなと思いました。 周りの公共物の写真を撮るときは旧ソ連圏では撮っても大丈夫か聞いてから撮ります。ソ連時代は秘密だったウラジオストック港の潜水艦は自由に撮れました。 以上ですがロシアでは地図を見ながら好きなように移動するのは私は考えたことはありません。地下鉄に乗って博物館へ行ったことはあります。 事情は行くたびに変化したりしていますのでその点は前回が参考にならない場合もあります。 ロシアの市内地図、道路地図を買った事が無いので他の方のレスを待ちます。
言い忘れ ガイドとは英語でしたが一般人は英語は駄目でした。 クレムリン前のホテルモスクワでも従業員に英語で話しても駄目でしたが今はどうか知りません。 ホテル内のレストランは簡単な英語で通じました。 私はロシア語は簡単な挨拶以外は出来ませんが標識を見るためキリル文字の読み方だけは懸命に覚えて行きました。
ありがとうございます EAVOさん 早々のお答えありがとうございます。 私は、海外旅行に行くとき必ず訪問地の地図を国内で手に入れて、イメージを創り、一人でも歩けるようにしています。今回のお答えは参考になりました。(予想したとおりかな)やはりガイドが必要そうですね。 親父からソビエト(CCCP)の抑留の話を聞けるようになったのは、当人が65歳を過ぎたころからでして、記憶が不確かな部分は、近隣の戦友からの話などを聞きながら、色々と推測して、今回、全抑協の慰問団に参加しようと考えイルクーツクかチタ地区か迷いながら思案したした次第です。 そんな中にヒントになる地名があったので、問い合わせしました。改めて、Thanks machです。 親父は、当時、下士官ですが、中隊長付きで軽機関銃の射手でした。500名の収容者のうち16名の生き残りです。武装解除のとき、おふくろから貰った千人針を軽機に巻いて、ロスケ(ソビエトの軍人)に渡したことを悔やんでました。 しかし、極東の収容所の軍人は、「ニナーダ スターリン」と言ってやさしかったそうです。 私ごとで、申し訳ありませんが、戦後65年たったので旅行もできるかなと思いましたが、今年の暑さでロシアのツンドラ地帯も泥まみれのようで(全抑協の方の話です)。歩行が少し困難なので慰霊の訪問はあきらめました。 EAVOさんのページは参考になりました。あとで親父にも見せようと考えています。 今後もEAVOさんのブログ参考にさせていただきます。