アユタヤ/音なし電車 長政さんの話では、荒廃した遺跡群の管理の問題で、 世界遺産認定が取り消されるかもしれないそうで、 市民の間にも危機感が広がっているそうです。 大阪市電の磁石式ブレーキは知りませんでした。 車両よりも、一番興味のあるのは乗車券類なので・・・ 港区に「市電博物館」があるのですが、 一度も行ったことがないので、 そのうち行ってみたいと思っています。 そこには保存されているはずです。 トロリーバスは、淀川に架かる十三大橋の上を走っているのを、 並行する阪急の車窓からよく見かけました。 市電の最後の路線は、阪急前から都島方面だったと思いますが、 市電廃止の夜、見送りに行きました。 帰宅の終電車の時間の都合で、最終市電まで見届けられませんでした。
市電廃止の夜、見送りに行きました タイ国鉄さん阪急電車の定連とは・・・ 私も一時期神戸から梅田に通勤、梅田で居眠りして西宮までつれ戻された事が昨日のようによみがえります。 そして万博の年に赤茶けた川崎に移りました。で市電とトロリーの終焉には立ち会うことは出来ませんでしたが、市電の片道が15円往復だと25 円でした。 千日前で3本立て100円の映画を見て市岡まで歩いて帰ったのが50年以上昔。話が飛びそうなので、チャンスがあれば市電博物館に是非行って青春時代の思い出に一人で・・・みたいです。 そうですか長政さん流石に良く知っているようですね。 アユタヤは元首都であった関係なのか現政権では触りにくい理由があるような感じで・・・ 私もこの場で(廃墟)と表現するのを遠慮していましたが皆さん感じるのは同じなのですね、複元出来ないのならとりあえず残骸だけでも整理するとか出来ないものでしょうか。 そうしてハイゼットみたいなアユタヤのツクツク、私はお気に入りで、出来ればお土産の持ち帰りたいぐらいです。(笑) のんAとBの話を「シキュウカネオクレ」いや電報じゃなかったハヤクヨミタイ。
阪急京都線最後の夜も見送りに行きましたよ へぇ~、はっつさんは神戸や市岡に住んで居られたのですか? 市岡といえば桂三枝の古里ですね。 ご存知のように以前の阪急梅田駅は、 国鉄大阪駅東の跨線橋を南へくぐった地平にあったのですが、 輸送力増強のため列車を長大化する必要に迫られ、 手狭になった旧梅田駅を国鉄線北側の現在地へ移設し、 3階部分をホームにしたものです。 最初に神戸線、次に宝塚線、最後に京都線と3ホームずつ移設工事を 進めていったのですが、最後に残った京都線の旧駅からの最終電車は これも帰宅の宝塚線最終電車に乗る都合で、見送ることができず、 1つ前の発車を見届けてから、新駅から発車する宝塚線最終で帰宅しました。 今年は阪急開通(宝塚線・箕面線)100周年で、 記念日の3/15には梅田駅の乗車券を買いました。 会社としての創業(箕面有馬電気軌道)は昨年が100周年で 種々のイベントがありましたが、 開通100年は特になにもなかったようです。
Re: 市電廃止の夜、見送りに行きました ハイハ~イ☆いまからつづきをかくところですよ~w おじいちゃまと国鉄さまはなかよしでうらやましいです♪ でも、私のトピの中でなかよくお話してるから私もうれしいです! それはそうと、おふたりのお話の中で、いくつか説明したいことがあるけど、ココで言っちゃったらもったいないので日記にかきますね~w