実家、市電 >稲荷山中腹の食堂は、イケメン俳優N.Kさんの実家で そのお話はどこかで一度聞いたことがあります。 わたしにとって伏見稲荷、実家と言えば、フォーククルセーダーズ、シューベルツ(、クライマックス、エンドレス)の端田宣彦(はしだのりひこ)です。 彼の実家はJR稲荷駅(京都駅から見て)手前の踏切を渡って京阪に行く手前にあり化粧品屋さんでした。ちょうど疏水の橋を渡る手前の店です。いまは別のお店が入っていますが、確か10年くらい前まではよく似たお顔のおじいさん(おそらく彼のお父さん)がお店の前の椅子に腰かけて店番をしていました。 疏水を渡るとすぐに左手に小さな公園があり、そこから空き地が京阪の線路に向かってのびていますが、これは昔走っていた市電の終点と線路の跡です。市電は京阪の線路を横切ってしばらく直進、中書島から来た線路に合流して京都駅に向かっていました。大昔京阪電車と衝突事故があって以来この電車同士の交差点は確か市電に優先権があり、両者が出会う時には郊外型の大型な京阪電車が小さな市電が通過するのを待たなければならなかったとどこかで読んだ記憶があります。
稲荷の有名人 稲荷は結構有名人が多いです。 はしだのりひこさんは、私の兄か姉の同級生か同学年で(稲荷小学校) 「キスミー」と呼ばれていたそうです。 (記憶が定かではありませんが、お店でキスミー化粧品を扱っていて、看板があったらしいです) 今はお花屋さんになっていたかと思います。 そこから疎水の橋を京阪稲荷駅の向かって渡ったところに 女子体操の日本チャンピォンだった松久みゆきさんの実家もあります。 せんべい屋さんでした。 市電には京都駅に行くのに度々乗りました。 京阪の線路と交差する所を通る時、独特のガタガタと言う音と振動がしたことを 覚えています。
キスミーのりちゃん >はしだのりひこさんは、私の兄か姉の同級生か同学年で(稲荷小学校)「キスミー」と呼ばれていたそうです。 それは初耳。キスミーのりちゃんは最近噂を聴きませんし姿も見かけませんがお元気でしょうか。 「フォークル」のベーシストの北山修も京都の人。実家は七条近辺の開業医だったと記憶します。のりちゃんは同志社、キンちゃんは府立医大でしたね。 京都出身と言えば音楽関係だけでも相当な数にのぼるのでしょうね。 >京阪の線路と交差する所を通る時、独特のガタガタと言う音と振動がしたことを覚えています。 京阪だけでも伏見、七条、四条で市電と交差、京津線も入れれば東山三条でも交差してましたね。
Re: 実家、市電 まいど、おーきに フォーククルセーダーズが関西ではやったころに東京では森山良子、黒澤久雄(少し年上ですが)マイク真木、が学園祭とかフォークの店で受けていました。上にかかれた「ほんやら洞」というのはその関係ですか? なつかしいというか京都のそれは知らなかったです。「おらはしんじまっただー、天国よいとこ一度はおいで、…..」 JR稲荷駅の辺りの豆腐屋で、「きらずあげ」なる東京では見られないものを見つけました。食感は固めのクッキーです。味はでもちょっと違う! 疎水なる川、鴨川と平行して流れているむかしの運河でしょうか?水量が多いですね? 京都はむかしから水の多い土地柄でしょうか? むかしむかし学生のころ京都に来たころは、地下鉄などはなく全て市電でした。それがもう跡形もありません。京阪もむかしは道路を走っていたのでしょうか? 東京でも京王電車というのは、私の子供のころは新宿から初台の間は甲州街道の上を走っていました。甲州街道に大きなカーブ踏切があって、そこを電車が通るときは車が少ないころでも渋滞していました。戦前にはもっと先まで道路を走る路面電車だったらしいです。そのうちに京王電車は地下にもぐりました。
疏水 >疎水なる川、鴨川と平行して流れているむかしの運河でしょうか?水量が多いですね? 疏水は明治の事業です。「都」でなくなって寂れる京都を救済するための大土木事業と読んだ気が... 疏水による発電事業があったればこそ日本初の電気鉄道が京都に誕生したのです。 >京都はむかしから水の多い土地柄でしょうか? どうでしょう? 賀茂川、桂川はありますが、それで足りていたなら疏水事業はなかった(巨費を投じてまで建設しなかった)のだと思いますが。
おけいはん >京阪もむかしは道路を走っていたのでしょうか? 「おけいはん」こと京阪電鉄は京都では路面(併用軌道)ではなく専用軌道でした。路面を走っていたのは三条から東山三条、蹴上を経て山科、大津(=東海道)に至る京津線です。これは京都市営地下鉄東西線の開通で御陵(みささぎ)から西は廃線になりました(そこからは京都市営地下鉄に乗り入れ)。 ただ法規上は京都の五条から三条までは市電の特許を借りる形で建設開業したらしいです(今の地下線の開業によりこの事情は解消)。 京阪が併用起道だったのはむしろ大阪市内です。詳しいことはわかりませんが京橋(今の駅より少し北側)から(当時の)起点天満橋までの一部、片町周辺で路面を走っていたとのことです。 >戦前にはもっと先まで道路を走る路面電車だったらしいです。そのうちに京王電車は地下にもぐりました。 本で読んだことがあります。戦災に遭う前は山手線を越えた内側に終点駅があったそうですね。 そういう話では都市間鉄道の先駆け、阪神電車の変遷もおもしろいですよ。
N電(京電)、高田渡、イノダ 京都駅から伏見に伸びる市電は日本初の電気鉄道。その電力は蹴上の疎水の落差を利用した水力発電によるものを使っていたことは言うに及びません。 ただしこれは後の京都市電とは別物で京都電気鉄道という私鉄が開業させたもの。そのため軌間も市電と違い1067mmの狭軌で建設されました。 伏見への路線は京都市への合併後改軌されましたが、最後まで狭軌のまま残っていたのが最初に書きました京都駅から四条を経て北野まで走っていた路線(N電)です。 N電の車両が何両かが保存されていますが、京都市内では確か烏丸通の五条と四条の間(四条に向かって左側)のビルの一階に置かれ道路からもガラス越しにその姿を見ることができます。 ところでサンフランさん、イノダというコーヒー屋さんはご存じですか? http://www.inoda-coffee.co.jp/shop/index.html ここの本店は一時東京から山科に移り住んだ高田渡が好んで通っていたらしいです。