そろそろ夏の旅行シーズンもおしまい。地球の歩き方も、初版の時代からどれだけ買ったことか。それから、もう四半世紀。
当時は、実際に行ってきた人の投稿情報は貴重で、他のガイドブックにない新鮮さがあった。しかし、昨今、自分もあちこち実際に行ってみた上で、本の投稿情報を読むと、あまりにアラが目立つ。彼らの話は、情報と言うより、自分は最高の経験した、というだけで、最高、と言っても他と客観的に比較するほどの他の経験があるわけでもなく、根本からして、たんなる誤解だったりする。(たとえば、どこどこの店のチョコは世界一、なんていう、どうでもいい投稿情報は、いったいどれだけの国と街にあるのか。)
かといって、また、あの時代のまま、何カ国へ行ったかを誇っている世界旅行者さんたちの今の末路を見るに、多くの経験があっても、やはりこうなってしまうのか、と驚く。思うに、人間、どこにいようと、1日は24時間、1年は365日。あちこち旅行したからといって、経験が多くなり、理解が深まるわけではないのかもしれない。それどころか、旅行ばかりしていると、どこでも浅く表面をなでるだけで、それぞれの地に根付いた生活の深みや重みを知る機会そのものを失ってしまうのかもしれない。
結局、どこかへ行った、というだけでは、ある場所のある一瞬を通り抜けただけで、その場所のことなど、なにもわからない。それは、急行で通過した駅のようなもの。その駅になにがあったか、どうなっていたか、なんていう問いに、急行列車の乗客の答えが的を射ている方が驚きだろう。
ヨーロッパの人は、休みが長いせいもあるかもしれないけれど、巡礼や遍歴でもない限り、旅行に行ったら、同じ街に最低1週間、長いと1月は滞在する。それも、ホテルのベランダにただ座って、一日の景色の移り変わりを眺めていたりする。街でも、コーヒーやビールを飲みながら、カフェで半日くらい座っている。
自分は、旅行では、極力、予定は少なくするようにしているのだが、現地では、やはりどうにも、その角の先まで、歩いて行って、見たくなってしまう。それで、自分の自戒として、みんなに聞きたいのだが、どうすればあんな風にのんびり座っている旅行ができるのだろうか。なにもしないことを、なにも我慢しないでできる人たちは、いったいなにをしているのだろうか。